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番の心がわり
番の心がわり
Author: 酔夫人

第1話 空の牢獄

Author: 酔夫人
last update publish date: 2026-05-20 17:50:17

窓の外から、重たい金属が擦れる音が聞こえた。

ガラガラ、と鎖が石壁を滑り落ちる音。

鉄が軋む音。

人の気配。

その瞬間、ベッドの上でぼんやりとしていたサラリアはゆっくりと顔を上げた。

この塔は静かだ。

静かすぎるほどに。

だからこそ、僅かな物音でもすぐに分かる。

サラリアは裸足のまま床へ降りた。

石造りの床は冷たく、足裏から体温を奪っていく。

小さな窓へ歩み寄り、身を乗り出すように下を覗いた。

そこには何人もの兵士が集まっていた。

銀色の鎧が陽光を反射して眩しい。

さらに空には竜へ姿を変えた兵たちが旋回している。

塔を囲むような厳重な警備。

まるで危険な魔獣でも閉じ込めているかのようだった。

その光景にサラリアは小さく笑う。

「人間一人に大袈裟ね」

掠れた声だった。

自分の声なのに少し違和感がある。

長い間、誰とも会話をしていないからだろう。

食事を運んでくる侍女はいる。

けれど彼女たちは必要最低限のことしかしない。

サラリアを見る目には嫌悪と軽蔑が混じっていた。

食事を置く。

下げる。

それだけ。

誰も話しかけない。

誰も笑わない。

この塔には、サラリアしかいなかった。

窓辺へ視線を戻す。

部屋は今日も異様なほど綺麗だった。

埃一つない。

シーツも床も壁も常に磨き上げられたような状態を保っている。

誰も掃除などしていないのに。

まるで生きた人間ではなく、価値ある宝石でも保管しているような空間だった。

サラリアは思う。

ここは部屋ではない。

牢獄でもない。

―――保管庫だ。

自分はそこで保管されているだけなのだと。

視線を落とす。

左手首には銀色の腕輪が嵌められていた。

複雑な紋様が刻まれたそれは、この塔へ入れられた日に取り付けられたものだ。

そして同時に。

サラリアを生かし続ける枷でもあった。

空腹を覚えれば侍女が来る。

喉が渇けば飲み物が運ばれる。

何もしていないのに定期的に眠気が訪き、体調が悪くなることもない。

衰弱しない。

病気にもならない。

死ねない。

じわじわと。

ゆっくりと。

逃げ道だけを奪われながら生かされ続ける。

最初の頃は何度も腕輪を外そうとした。

死にたかったわけではない。

ただ、このまま生かされるのが耐えられなかった。

壁に叩きつけた。

石で削った。

歯で噛んだ。

だが傷一つ付かなかった。

どれだけ足掻いても無駄だった。

だからサラリアは諦めた。

唯一残された自由。

それは窓の外を見ることだけだった。

視線を上げる。

雲海の上に無数の浮島が漂っている。

その間を巨大な竜たちが飛び交っていた。

ドラコニア。

竜族が暮らす天空の王国。

初めてここへ連れて来られたとき、その幻想的な光景に息を呑んだ。

まるで御伽噺の世界だった。

陽光を受けて輝く竜の鱗。

雲を裂く巨大な翼。

空に浮かぶ島々。

どれも美しかった。

けれど今は違う。

どれほど美しくても。

それは牢獄の景色だった。

翼を持たない人間が、この空の世界から逃げ出せるはずがない。

最初は抵抗した。

逃げる方法を考えた。

毎日日付を数えた。

兵士の配置を覚えようとした。

だが。

いつからだろう。

数えるのをやめたのは。

季節を気にしなくなったのは。

逃げる方法を考えなくなったのは。

飛ぶ竜を眺める。

流れる雲を見る。

夕焼けを見送る。

それが日課になった。

人はどれほど強くても。

出口のない場所へ閉じ込められ続ければ削られていく。

怒りが消える。

憎しみが消える。

希望も消える。

気づけばサラリアは、未来を考えることすらやめていた。

◇◇◇

「もっと早く決着をつけると思ったのだけれど」

窓枠へ額を預ける。

ひんやりとした石の感触が心地よかった。

この国へ連れて来られた日。

あの男は迷いなくサラリアを攫った。

だから処分も早いと思っていた。

追放か。

処刑か。

あるいは別の何かか。

だが何も起きなかった。

ただ生かされ続けるだけ。

理由も分からないまま。

「……どうしてなのかしら」

答える者はいない。

理由を知ったところで、この塔から出られるわけでもない。

期待するだけ無駄だった。

何度もそう思い知らされてきた。

希望は裏切られる。

だからもう期待しない。

サラリアは静かに目を閉じた。

そして、ぽつりとその名を呼ぶ。

「……ラーシュ」

ラーシュ・ドラゴニス。

天空国家ドラコニアを統べる若き竜王。

そして―――

サラリアをこの塔へ幽閉した男だった。

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  • 番の心がわり   第5話 出会い(2)

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