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窓の外から、重たい金属が擦れる音が聞こえた。
ガラガラ、と鎖が石壁を滑り落ちる音。
鉄が軋む音。
人の気配。
その瞬間、ベッドの上でぼんやりとしていたサラリアはゆっくりと顔を上げた。
この塔は静かだ。
静かすぎるほどに。
だからこそ、僅かな物音でもすぐに分かる。
サラリアは裸足のまま床へ降りた。
石造りの床は冷たく、足裏から体温を奪っていく。
小さな窓へ歩み寄り、身を乗り出すように下を覗いた。
そこには何人もの兵士が集まっていた。
銀色の鎧が陽光を反射して眩しい。
さらに空には竜へ姿を変えた兵たちが旋回している。
塔を囲むような厳重な警備。
まるで危険な魔獣でも閉じ込めているかのようだった。
その光景にサラリアは小さく笑う。
「人間一人に大袈裟ね」
掠れた声だった。
自分の声なのに少し違和感がある。
長い間、誰とも会話をしていないからだろう。
食事を運んでくる侍女はいる。
けれど彼女たちは必要最低限のことしかしない。
サラリアを見る目には嫌悪と軽蔑が混じっていた。
食事を置く。
下げる。
それだけ。
誰も話しかけない。
誰も笑わない。
この塔には、サラリアしかいなかった。
窓辺へ視線を戻す。
部屋は今日も異様なほど綺麗だった。
埃一つない。
シーツも床も壁も常に磨き上げられたような状態を保っている。
誰も掃除などしていないのに。
まるで生きた人間ではなく、価値ある宝石でも保管しているような空間だった。
サラリアは思う。
ここは部屋ではない。
牢獄でもない。
―――保管庫だ。
自分はそこで保管されているだけなのだと。
視線を落とす。
左手首には銀色の腕輪が嵌められていた。
複雑な紋様が刻まれたそれは、この塔へ入れられた日に取り付けられたものだ。
そして同時に。
サラリアを生かし続ける枷でもあった。
空腹を覚えれば侍女が来る。
喉が渇けば飲み物が運ばれる。
何もしていないのに定期的に眠気が訪き、体調が悪くなることもない。
衰弱しない。
病気にもならない。
死ねない。
じわじわと。
ゆっくりと。
逃げ道だけを奪われながら生かされ続ける。
最初の頃は何度も腕輪を外そうとした。
死にたかったわけではない。
ただ、このまま生かされるのが耐えられなかった。
壁に叩きつけた。
石で削った。
歯で噛んだ。
だが傷一つ付かなかった。
どれだけ足掻いても無駄だった。
だからサラリアは諦めた。
唯一残された自由。
それは窓の外を見ることだけだった。
視線を上げる。
雲海の上に無数の浮島が漂っている。
その間を巨大な竜たちが飛び交っていた。
ドラコニア。
竜族が暮らす天空の王国。
初めてここへ連れて来られたとき、その幻想的な光景に息を呑んだ。
まるで御伽噺の世界だった。
陽光を受けて輝く竜の鱗。
雲を裂く巨大な翼。
空に浮かぶ島々。
どれも美しかった。
けれど今は違う。
どれほど美しくても。
それは牢獄の景色だった。
翼を持たない人間が、この空の世界から逃げ出せるはずがない。
最初は抵抗した。
逃げる方法を考えた。
毎日日付を数えた。
兵士の配置を覚えようとした。
だが。
いつからだろう。
数えるのをやめたのは。
季節を気にしなくなったのは。
逃げる方法を考えなくなったのは。
飛ぶ竜を眺める。
流れる雲を見る。
夕焼けを見送る。
それが日課になった。
人はどれほど強くても。
出口のない場所へ閉じ込められ続ければ削られていく。
怒りが消える。
憎しみが消える。
希望も消える。
気づけばサラリアは、未来を考えることすらやめていた。
◇◇◇
「もっと早く決着をつけると思ったのだけれど」
窓枠へ額を預ける。
ひんやりとした石の感触が心地よかった。
この国へ連れて来られた日。
あの男は迷いなくサラリアを攫った。
だから処分も早いと思っていた。
追放か。
処刑か。
あるいは別の何かか。
だが何も起きなかった。
ただ生かされ続けるだけ。
理由も分からないまま。
「……どうしてなのかしら」
答える者はいない。
理由を知ったところで、この塔から出られるわけでもない。
期待するだけ無駄だった。
何度もそう思い知らされてきた。
希望は裏切られる。
だからもう期待しない。
サラリアは静かに目を閉じた。
そして、ぽつりとその名を呼ぶ。
「……ラーシュ」
ラーシュ・ドラゴニス。
天空国家ドラコニアを統べる若き竜王。
そして―――
サラリアをこの塔へ幽閉した男だった。
――私は、王竜様になんてことを……。全身重度の火傷を負ったものの、ガイゼルは翌日には目を覚ました。目を覚ましたが、全身全霊で落ち込んでいた。二週間くらいウジウジしたあと、ガイゼルは後継ぎの座をオーレリウスに譲ると言い出した。シーラにあっさり騙された。貴族社会でやっていく自信はない。髪も焼けて坊主になったから丁度いい。そう言って、規律の最も厳しい神殿に突撃していった。もちろんオーレリウスは止めた。ガイゼルは確かに騙されやすいかもしれないが、その愚直さこそウィンドスケイル。裏がないからこそ王家は忠臣と認めてきた。ガイゼルのほうが公爵に相応しい。オーレリウスは説得を続けたが。――剣を向ける先を間違えた私を陛下は二度と信じない。――それなら陛下のお傍に立てるウィンドスケイルはお前だけだ。その真っ直ぐな言葉に、それ以上何も言えなかった。家督を弟に譲ることも。貴族でなくなることも。ガイゼルにとっては、竜王と王竜という存在を前にしたら『そんなこと』だった。あのとき、オーレリウスは兄ガイゼルの信念を見た気がした。.神殿で修行したガイゼルは強くなった。それまでは次期公爵として教養や礼節を学ぶ必要があった。その時間と体力を鍛錬にガイゼルは全振り。その環境がとてもあっていたのだろう、ガイゼルはとても強くなった。――俺が考えると碌なことがなさそうだ。――考えることはお前に任せた。脳筋丸出しの発言にオーレリウスは呆れたが、それこそウィンドスケイル。ウィンドスケイルらしくなく腹芸が得意なオーレリウス。適材適所と割り切って、「分かった」と答えた。◇◇◇「サラリア様はなぜあの兄をご指名で?」「深読みする必要がなさそうで楽だから、らしい」(なんか分
「オーレリウス、カフェの島に常駐させる護衛の件で話がある」ラーシュの言葉にオーレリウスは頷く。顔には出さなかったが、『ようやくか』と呆れていた。.ドラコニアはいくつもの浮島から作られている国。名前のついている島もあるが、サラリアたちが暮らす島は、それまで無人島だったため名前がない。そのため『カフェの島』と呼ばれている。三日前、そのカフェの島に泥棒が入った。泥棒を感知したのは、カフェの島を縄張りにしている王竜トール。――夜中に誰か知らない人が来たっぽい。翌朝、眠そうな顔でトールがそう母サラリアに報告したことがことの始まり。――夢かなあ。ドラコニアを繁栄させる王竜という存在だけど、いまはまだ幼児。夜きちんと寝ることが大事。下手に警戒して夜眠れなくなってはいけない。そう判断したサラリアは、トールには夢ということにした。そして、すぐに被害の確認をした。被害はあった。外に干してあったトールのパンツが盗まれていた。なぜ夜に干していたのか。オーレリウスの質問に、「おねしょ」の一言でサラリアは説明を終えた。犯人は見つかっていないが。(犯人はおそらく、トール様のファンだが数が多い)犯人は見つけたいが、現実問題、パンツ一枚を探すことは難しい。サラリアも「大した害ではない」で済ませようとしているし、サラリアがそれならばとラーシュも納得していた。(サラリア様の下着だったらどうなっていたことか……いや、トール様のパンツならいいという話でもないのだが)そんなことがあって、カフェの島に護衛騎士を常駐させる案が出た。カフェの島周辺も含め、騎士たちは厳重に警備している。しかし、島に侵入されてしまえば、あとは無防備だ。そのため、任命される護衛騎士はカフェを中心に島内部を警備することになる。(つまり
「サラリア様。この生ごみに埋めて土に栄養を与える方法を、主人に教えてもよろしいですか?」「ご主人に?」リス族の獣人である彼女は、伯爵位にある竜族の番だった。「伯爵家の領地は昔から野菜の生産を任せられているのですが、あまり上手くいっていないんです」彼女は落ち込む。「親族からは、主人のいないところで『草食のくせに役に立たない』とか言われるのですが、故郷で野菜ができないなんて聞いたことありませんし、そんな抱えたことのない問題の解決策なんて分かりません」聞けば、リス族たちも兎族同様に森の傍で暮しているらしい。「本で調べようにも、竜族は本をあまり読まないようで……あったとしても騎士が登場する英雄譚とか冒険記ばかりで……」彼女の言葉に同意するように、周りの番たちも頷く。「竜族は長命種だから、基本的に口伝なんですよね。でも、それなら何を口伝されたんだって聞くと、肉のさばき方とか鍛錬の方法ばかりで」「分かりますわ。衣食住に関わる、なんというか、こうハウツー本のような……」言葉に迷う彼女たちの話にサラリアが混じる。「実用書でしょうか」「それですわ!」「サラリア様のこの肥料の知識のように、生活の役に立つことが知りたいんですの」「育児書や教育の本も欲しいですわ」「分かります、このままでは騎士一直線ですもの」「ああ……児童書とか絵本とかがないから、職業をあまり知らなくて……」「私は医者の家系なのですが……」そう言ったのは、耳の感じからヤギ族のような女性だった。「風邪を引くのはなよっちいからって、鍛錬すれば風邪も治るって……喉が痛いという息子に素振り百回とかいう馬鹿ですの」そんなことよりも栄養を摂らせて、養生させたいという彼女に周りもサラリアも深く頷く。とにかく。「調理方法と野菜、ですわね」サラリアを含む女性たちの期待の目が、領地で野菜を作っているというリス族の女性に向かう。「肥料作りをぜひ試してください。人族ではよく知られた方法ですもの。地域や、何を作りたいかで埋めるゴミを変えたりしているようですわ」自分は試したことはないと前置いて、書物からの知識をサラリアは教える。「少し待っていてくださいませ」「サラリア様?」「持ってきた本に役立つものがあるかもしれません……領地に適した肥料を作る参考になればよいのですが」「ありがとう
「掘った穴に生ごみを入れます」ごみという言葉に幾人もが顔をしかめたので、サラリアは言葉を変える。「食材には、皮や骨などの食べられない部分があり、そういう部分は料理のときに『生ごみ』として捨てることになります」子どもたちはピンとこないようだが、母親たちの何人もが納得したように頷いている。先ほど竜族の料理を『美味しくない』と言っていた女性が多い。(自分で料理をすることもあると言っていたし、そういう人は忌避感が薄いみたいね)「今回はお城の厨房から出た生ごみを使います」お城と言うと、幾人もの子どもが目を輝かせた。.「お城だって」「お父様も食べたかな」「もしかしたら竜王様かも」幾人かがコソコソとお城の話をする。城に対する憧れと、王であるラーシュに対する敬意が感じられる。そしてその目は自然とトールに向けられる。憧れと崇拝。彼らにとってトールは子どもではなく、王なのだと感じらえる。「母様、ここにいれるの?」でも、サラリアにとってはただ一人の息子。神とか王とか、崇められる存在の孤独をサラリアは知っている。「量が多いので、お城の方々にやってもらいましょうね」「うん」サラリアは後ろにいた人たちに頭を下げる。城からきた侍従たちが、穴の上で木箱をひっくり返す。野菜の皮、魚の骨や内臓、肉の切れ端などがどんどん穴の底に溜まる。ゴミは、今日の朝の厨房で出たものを頼んでおいた。腐敗しておらず、臭いはしないことにサラリアは安堵する。子どもの野菜嫌いをどうにかしたいというのも、今回の目的の一つである。汚い・臭いは育てる上で問題なくても、食べると思うと距離を置いてしまうだろう。(美味しい野菜を食べてないからだと思うのよね)実際に、トールはこれまでは野菜をよく食べていた。だが、ドラコニアに来てからはよく残す。
「皆様」ラパンの軽やかな声が響く。「改めてご紹介いたします。こちらにいらっしゃるのがサラリア様です」女性たちの視線がサラリアに集まった。「今日はお集りくださってありがとうございます」サラリアの穏やかな声。ラパンの包み込むような優しい笑顔もあって、場を満たしていた緊張が薄れた。「サラリア様、今日はとても楽しみにしておりました」「ありがとうと言いたいのは私のほうです」「私もですわ。家から出られたのは本当に久し振りなので」竜人は番を自分の巣である家から出したがらない。竜人同士ならば、双方が同じように思っているので問題にならない。姫だったサラリアは閉じ込められる感覚に慣れていたので特殊。それ以外の番たちにとって、竜人たちの束縛は窮屈で息苦しいものだった。中には「久しぶりに外の空気を吸った」と泣いて喜んでいる番もいる。サラリアは竜人の執着心を初めて客観的に見た気がした。ちなみに、招かれているのは女性ばかりだった。男性の番もいるはずなのだが、ラパンによればオーレリウスが声をかけるのを嫌がったらしい。竜族の女性の恨みを買うのは嫌だったらしい。賢明だとサラリアは思った。.「外出したいと言うと不機嫌になるんです」「だったら一人で、というわけにはいきませんものね」羽のない種族にとって、浮島であるこの地は自由に行動できる場所ではない。「外出のときは旦那様に連れていってもらうしかありませんし」「おねだりも大変なのですよね」「それに、了承したあともずーっと文句を言ったりして」首を縦に振る動きがとても力強い。実感がこもっている。「それなのに、今回はあっさり」「うちもですわ」「サラリア様からの誘いだと言ったら、了承どころか行って来いとまで」竜族は上下関係がはっきりしている。
城から食事を運んでもらうようになって二日目の朝、サラリアはオーレリウスを呼んだ。そしてその日の夜から、サラリアとトールは食事のために城へ通うようになった。トールは、起きている時間のほとんどを食事に費やしている。行き来のことを考えるとずっと城にいたほうが効率的で、結局家には寝に帰るだけ。(城にはいるけれど……)ラーシュの姿を、見かけることすらない。城が広いこともあるが、オーレリウスが調整してくれているのだろう。この城の主であるラーシュの行動を制限してしまうことに申し訳なさはあったが、城で食事ができることはかなり助かっているので背に腹は代えられない。.「おはようございます」「ラパン様」ラパンが四人の子どもたちと一緒に部屋に入ってきた。続いて侍女たちによって大量の食事が運び込まれ、部屋の中は一気に賑やかになる。暴れ回るわけではない。ただ、ものすごいスピードで食事が用意され、片付けられている。サラリアとラパンは顔を見合わせ、苦笑する。(私だけだったら、つらかったわ……)最初はサラリアとトールは二人で食事をしていた。だが、食事量の圧倒的な差から、トールだけが食べている時間のほうが遥かに長かった。時間が経つと、一人で食べているのがつまらなくなったらしいトールに「母様も食べて」と強請られるようにもなった。一人前を食べたあとだ。しかも、その一人前はトールに合わせてサラリアにしては多め。だから、次からサラリアはゆっくりと食べることにした。しかし、時間をかけると料理は冷める。スープは冷めてもったりとしてくる。肉は冷めて硬くなる。魚にかかっていたソースの舌触りが悪くなる。唯一時間をかけて食べられるのは、サラダだけ。サラダを食べ続け……サラリアはオーレリウスに相談した。相談するほうも、相談されるほうも慣れはじめていた。
それから始まった蜜月期と呼ばれる時間をサラリアはほとんどラーシュの腕の中で過ごした。朝、目を覚ませば隣にラーシュがいる。食事をしていても抱き寄せられる。夜になれば当然のようにラーシュはサラリアを抱いた。竜族は体温が高く、ラーシュに抱き込まれるたびぽかぽかと温かくて安心したが―――問題があった。竜族と人族では体力が違いすぎた。ラーシュは加減していると言っていたが、それでもサラリアは毎夜抱き潰されて気絶するように眠りについていた。「ラーシュ、休憩……お願
至近距離にラーシュの顔があった。長い睫毛。 白い肌。 冷たい美貌なのに藍色の瞳だけが熱を帯びている。気づけば見上げる形になったラーシュの顔を見ていた。視線がラーシュのものと絡まった途端、サラリアの背筋を痺れるような甘さが駆け上がった。腰の奥がじわりと熱を持ち、身体の芯が溶けていくようだった。「な、なに……?」自分の身体なのに、自分のものではないみたいだった。力が抜ける。息が苦しい。頬が熱い。怖いのに、逃げたいのに、ラーシュから目を逸ら
『こんばんは』その言葉と同時に、ふわりと夜風に乗って花のような香りが漂ってきた。甘いのに冷たく、澄んだ夜気の中へ静かに溶けていく香りだった。サラリアは息を呑んだ。欄干に一人の男が立っていたから。月を背にしたその姿はあまりにも現実離れしていた。漆黒の髪が風に揺れ、逆光だがかなり端正だと分かる顔立ち。長身の身体は騎士らしいのに妙にしなやかで、まるで夜を切り取って人間の形へ閉じ込めたようだった。月光が彼だけを照らしている―――そんな錯覚すら覚えるほど美しかった。人間ではない。
サラリアが年頃になると、各国から見合い話が届くようになった。数年前から周辺国が天候不順による収穫高の減少からの食料不足に悩む中、サラリアのいる国は例年通りの収穫高ということで金色姫の価値が上がったからだ。五穀豊穣をもたらす神の化身。国に富を呼び込む幸運の象徴。父王はそんなサラリアを珍しい宝石でも見せびらかすように他国の使者に自慢した。宴の席では隣へ座らせ、「我が金色姫だ」と酔った顔で笑っていた。神秘的な存在として扱われることに慣れていたサラリアは微笑んでみせながら心の中では冷め切っていた。父王はサラリアを自慢